「遅いのう」
腕に着けた時計の針音が、コチコチと静かな夜道に響く。
ぼんやりと見つめた空からは雪が舞い降り始めていた。
「どうりで冷えると思ったわい」
雪とて見えぬ程微かな光しかない夜道。
裏道と言うに相応しい真暗な場所は、いつの間にか二人の待ち合わせ場所になっていた。
「もう日付が変わりそうじゃ…」
待ち続けること20分が過ぎた頃、カクは漸く組んでいた腕を解いた。
遅れる事なんて一度も無かったが故に積もる不安は大きい。
「どうしたものかのう…」
探しに行きたいが、そうすると相手とすれ違う可能性がある。
そもそも相手がどこからやって来るのかわからない。
西なのか北なのか、いつもこの場所で先に待っている彼女の現れる方角すら知らない。
彼是考えた所でカクには待つと言う選択肢しかなかった。
「…」
呟いた名前にカクは静かに目を閉じる。
今更気づくのは、互いに互いの事を知らなさ過ぎる現実だった。
「ワシのせいか…」
知っているのは名前と…それから?
連絡先は知らない。
住んでいる場所も知らず、誰と暮らしているかも知らない。
思えば年齢さえ…知らない。
「何をして働いとるかも知らんのう…」
ふと過ぎった考えにカクは小さく首を振る。
己の素性がバレてしまったなんてありえない。ありえるはずが無い。
「"暗躍諜報機関"か」
巷では「殺しの集団」と都市伝説のように噂されるカクの本職、それがCP9。
普通の人からすれば、それはそこいらの殺人鬼と何ら変わらぬ恐ろしい存在なのであろう。
知ってしまえば逃げ出してしまいたくなる程に…
「今だけは"1番ドックの大工職職長"で居たいのう」
白い息を吐き、カクがそっと瞼を上げた時だった。
「カークっ!」
「…!?」
一瞬で暗くなる視界と目に重なる温かな何か。
「ゴメンね、遅くなっちゃった」
待った?と目を覆う手を外しカクの正面へ移動する。
カクはホッと胸を撫で下ろした。
「か…」
名を呼ばれていなければ、突然の背後の気配に何をしていたか分からない。
帯刀していなくても命を奪うぐらいは容易いのだ。
しかし、一瞬の安堵と共に浮かぶ疑問。
「でも良かった間に合って!」
「・・・」
何故自分はの気配に気づかなかったのか。
「…って、遅刻してるよね」
背後を取られる事なんてカクにはそうそう無い。
そこまでぼんやりしていたのか、はたまた本人が気配を消したのか…
小さな疑念がカクの心に降り積もる。
「…」
「カク…?」
眉間に皺を寄せ唸るカクには目を瞬かせた。
「もしかして…怒ってるの?」
「っ…いや、そんなに待っとらん」
動揺を隠すようにカクから出たのは滅裂な言葉。
しかし、が無事だっただけで待っていた時間なんてどこかに吹き飛んでしまったのも事実。
「そう、なの?」
不思議そうな顔をしたは、そっとカクの頬に手を伸ばす。
「さっきも思ったけど…カク、顔すごく冷たい」
待ったんじゃない?と心配そうにカクの瞳を覗き込むに、カクは表情を緩めた。
どうしてこの純粋な目を疑ったのであろう。
「これだけ冷え込むんじゃ、待たずとも冷たくもなるわい」
寒さを証明するようにカクは雪に手を翳した。
普段は赤く染まるカクの手が、束の間白く染められる。
この手ならを抱きしめても許されるのだろうか?
「カク、また難しい顔してる」
「ん、あぁ…すまん」
困ったように笑うに、何を考えていたか言えるはずも無く。
誤魔化すようにカクは空を見上げた。
「積もるかのう…」
「雪なんて珍しいもんね」
積もれば良いねとが微笑むのに、雲の様子からして積もらないと勝手に結果を出す頭が嫌になる。
ただその手に積もる雪をカクはじっと見つめた。
「そうだ、カク」
これ、と言ってどこから取り出したのか差し出されたのは砥粉色のマフラー。
「…ワシにか?」
「もらってくれる?」
返事も待たずに首にかけられるマフラーから、ほんのりと暖かさが伝わる。
「あ、やっぱり似合う」
良かったと自分の事の様に嬉しそうに笑うをカクは優しく抱きしめた。
感謝の気持を伝えたい…
「カ、カク…?」
なんて言うのは言い訳で。
「少しだけ、構わんか?」
ただ抱きしめたい衝動に駆られたのだ。
こくりと頷くを、カクはさらに抱き寄せる。
初めて知るの温度にカクは顔を埋めた。
「今日で、一ヶ月じゃのう」
「…知ってたんだ」
二人がこの町で出会ってから、一ヶ月。
"もう"なのか"まだ"なのか、それでも確かに時が流れた。
互いに惹かれあい確かな言葉も無く来たこの日は、記念日でもなければただ"丁度一ヶ月の日"である。
「…」
言葉にしなくとも伝わる確かな関係だった。
それでも尚欲するのは、それがきっと愛だから。
「好きじゃ」
知らないことは、これから知ればいい。
急ぐことは何も無い。
「カク、アタシも…」
触れた唇はマフラーに反するように冷たかった。
2012.02.24 仙人掌様より